北伊豆地震

発生日 地震名 その他の地震名 最大震度 死者・行方不明者(人) 特記 時分 緯度(度) 経度(度) 深さ(km) 全・半壊戸数
1930/11/26 北伊豆地震 7.3 6 272 4時2分 35 139 0 2165


 
 
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[1930_11_26_01]
震源地付近の惨状 (1)倒壊せる三島明神の灯篭 東京朝日 1930/11/26 TOP

 
[1930_11_26_02]
伊豆地方大震害画報 目もあてられぬ三島町の大惨状 東京朝日 1930/11/26 TOP

 
[1930_11_26_03]
伊豆の強震 住民戸外へ飛出す 一日に六十六回 東京朝日 1930/11/26 TOP

 
[1930_11_27_01]
震害地踏査第一報 死のトンネルを潜り 強行 熱海に入る 東京朝日 1930/11/27 TOP

 
[1930_11_27_02]
伊豆地方大震災 今暁四時三分豆相(ずそう)一帯に 惨死者二百名に達す 東京朝日 1930/11/27 TOP

 
 
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[1933_03_04_01]
今後は大した海嘯はなかろう 帝大地震学教授 今村明恒博士談 東京朝日 1933/03/04 TOP

 
[1958_06_15_01]
原子炉地震対策小委員会第2次経過報告書 原子力委 1958/06/15 TOP
   

 
[1995_02_22_13]
技術の枠を結集した構造物の危険性 PAGE 208-209 危険列島 1995/02/22 TOP

 
[1995_02_22_14]
技術の枠を結集した構造物の危険性 PAGE 206-207 危険列島 1995/02/22 TOP

 
[1995_12_20_01]
地表の地震断層と地下の震源断層 松田時彦 1995/12/20 TOP
(前略)このような地裂線は、それをさかいとして土地が系統的にくいちがっているので、地質学でいう断層の一種です。このばあいのように、地震のときに地表に出現した断層のことを地質学者は古くから「地震断層」とよんできました。(後略)

 
 
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[1996_10_20_01]
第一分科会_神戸からの声_地震と原発__生越忠さん講演 反原子力 1996/10/20 TOP
(前略)原子力開発推進派の人たちは、従来から一貫して、「原子力施設に限っては、どんなに強い地震に襲われても百パーセント安全」と主張しつづけてきました。しかし、そのように言えるものは、地球上のどこにもなく、私たちの住家も、強い地震に襲われた場合には、ある程度の損傷をこうむることは避けられないという前提に立って建築されているというのが実情なのです。(後略)

 
[2009_10_19_01]
なまず博士のなるほど減災ゼミ 「第3のタイプ」 県中西部でも要注意 中日新聞 2009/10/19 TOP

 
[2015_11_05_02]
被害地震の地震情報及び関連記事情報(表形式) 地震分る 2015/11/05 TOP
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[2016_07_10_01]
地震の年表(日本) Wikipedi 2016/07/10 TOP
(前略) 最近発生した地震の情報については、ウィキニュース、あるいは他の報道をご覧ください。ウィキペディアでは最近発生した地震に関する情報の正確さや新しさを保証できません。また、編集に際しては地震直後の被害状況など、すぐに古くなると考えられる情報については落ち着くまで更新を留保してください。(後略)

 
[2016_07_20_03]
島崎前原子力規制委員会委員長代理との面会について 規制委 2016/07/20 TOP
○田中委員長 始めてよろしいですか。○島崎前委員長代理 すみません。遅くなりまして、失礼しました。(後略)

 
 
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[2017_09_12_01]
地震災害の歴史と地震防災科学・技術の発展 荏本孝久 2017/09/12 TOP
※引用者注:1930〜60年分を以下に抜粋(後略)

 
[2019_08_27_04]
たんぽぽ舎のフィールドワーク 根尾谷断層、浜岡、東海、足尾銅山(鉱毒事件)を歩く たんぽぽ 2019/08/27 TOP
◎たんぽぽ舎の活動には現地を訪ね、地元の人々の話を聞くフィールドワークがある。それは会員間の相互理解と連帯を強めたといえる。(後略)

記事終了